逃避と非難の違い

「辛いことから逃げずに、立ち向かいなさい」と言われた時代から

「辛いことがあれば、逃げていいんだよ」と言われる時代に、シフトしつつあります。

昔は、我慢・忍耐・根性の先に幸福が待っているという、アニメやドラマが多くありました。

しかし、スピードや効率性の追求、人間関係の希薄など、ストレスに晒されやすくなった現代。

綺麗ごとばかりも言っていられません。

そのため、いかにして心の健康を守るかに、重きが置かれるようになりました。

それにともない、学校や職場では、心のケアに携わる専門家も増えてきましたね。 

相手を許す心の持ち方を身につければ、嫌な相手は消えます。

けれども、いじめに遭うなどの耐え難い苦痛を味わっているときに、相手を許す心の余裕などありません。

逃げると、「負けた自分」「弱い自分」というセルフイメージを植えがちです。

しかし、苦痛な状況から、物理的に離れることを「逃げる」と言うなら、逃げることは、ダメなことでも卑怯なことでもありません。

自分を守りたいという思いに、突き動かされた行為です。

ただし、一口に「逃げる」と言っても、厳密に言うと二つの意味があります。

それが「逃避」「避難」です。

一般に、「逃避」は逃げる、「避難」は避けるの意味で用いられる傾向があります。

今回は、逃げることに疲れた方に向け、逃げること、避けることの違いを説明します。

逃げても逃げても苦しい

その理由に気づくため、何かお届けできれば幸いです。

Point

◆ 逃避と非難の違い

◆ 判断する方法

 ※この記事は2分で読み終えられます

逃避と避難の違い

逃避と非難。

どちらも「避ける」という文字を含みますが、意味は大きく違います。

それは、避けたあとの「在り方」です。

  • 逃避・・・環境だけが変化(自分は変化しない)
  • 避難・・・環境も自分も変化

自分に起こることは、苦しみを感じることであっても、そこには必ず学びがあります。

スピリチュアルの面で言うと、自分がそれを計画して(望んで)いることになります。

しかしながら、いじめのほとんどは、1対多の構図。

いじめの中心者は、相手を追い詰めるため、必ずといっていいほど周りを固めます。

他者との協調や連携が必須となる、学校や職場でそれをされれば、苦痛はさらに増すもの。

このような状況では、前向きに学ぼうと思うどころか、生きるエネルギーさえ奪われてしまいます。

そのため、「エネルギーを維持する」ために、環境を離れることは間違った選択ではない と思います。

大切なのは、その後なのです。

学びに向き合う

  • この辛い経験は、私に何を学ばせたかったのか
  • 相手は、自分の姿をとおして、私に何を気づかせようとしたのか

これらを振り返って、その辛い経験を成長の糧にできる人にとっては、逃げることが避難になります。

つまり、課題に向き合うため のエネルギーを奪う、「難」を避けただけ。

一方、相手を恨んだり被害者意識に陥って、何も学ぼうとしない人にとっては逃避です。

こちらは、「課題」を避け、「自分」から逃げた ことになります。

このように、逃避と非難では、避ける対象が異なります。

自分自身では、苦しい状況から逃げたつもりが、実際には、自分と向き合うことから逃げた のです。

したがって、逃避の場合は、学び終えていないため、新しい環境でも再び似た経験をすることになります。

逃げても逃げても、自分の影のように、どこまでも追いかけてくる

それが繰り返されると、どこかの段階で、「そろそろ腰をすえて何とかしないと」という気持ちになるかもしれません。

最後に・・・

逃げても逃げても、追いかけられる。

それはまさに、過去の私です。

「威圧的な人」と「自由を奪う人」に対して、うまく立ち回れず何度も逃避しました。

ところが、どれだけ環境を変えても、なぜか 同じタイプの人に出会ってしまう のです。

あまりにも続くため、自分が変わらなければダメだと観念し、向き合うことに決めました。

本音を言うと、自分に原因があるのだろうと、深い部分では薄々気づいていました。

それでも、当時は、逃げられるものなら逃げ続けたいと思っていました。

恐らく、自分の闇を認めるのが怖かったのです。

けれど、今はあの時に向き合ってよかったと思います。

なぜなら、相手を許す心の持ち方や、仕返しを願う心を手放す生き方は、その過程で身につけたものだからです。

理不尽な攻撃から逃げることで、心の平安を保持でき、自分らしくいられる方もいるでしょう。

反面、何かに怯え、目をそらしている自分を、どこかで感じる方がいるかもしれません。

逃避か避難か、その違いは、自分が一番よくわかっています。

もし、逃げることに疲れたと感じられたり、逃げた過去への罪悪感に苦しんでおられるなら・・・

それは、逃げたからではなく、何も学べていないから ではないでしょうか。

いずれにしても、何かを学ばなければならない時には、それにふさわしい出来事が必ず起こります。

私のように、堂々巡りの末、八方塞の状態になれば、嫌でも向き合わざるを得なくなるでしょう。

いつ向き合うかは、ご自身の心に問うて下さい。

答えはすべて、自分の中にあります。

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