霊格や魂レベル

過去、私は苦しい現実から逃避するため、スピリチュアルに大きく傾倒しました。

そのとき、周囲には霊格や魂レベルの高さを気にする方が、とても多かったと記憶しています。

「霊格が上がるときの状況を知りたい」
「魂レベルの高い人には、どのような特徴がみられるのだろう?」

スピリチュアルの教えにしたがって生きることは、霊性の向上を目指すことでもありますので、おのずと、現在における自分の霊格や魂レベルなど、霊性の段階が気になるのかもしれません。

ちなみに、当時の私はどうだったかというと、現実から逃避するのに必死でしたので(苦笑)自分の霊格については、ほとんど気にしていませんでした。

ただ、波動はそうとう低かったと自覚しています。

おそらく、この記事を読まれている方は、霊格を上げる方法が知りたいのだと思いますが、まずお伝えするのは、「霊格や魂レベルを気にする必要はない」ということです。

今回は、霊格や魂レベルとは何かを説明し、それらを気にする必要がないこと。

また、本当の意味でスピリチュアルに生きる姿について触れました。

Point

◆ 霊格・魂レベルとは何か

◆ 霊格の高さ・低さは気にしない

◆ スピリチュアルに生きる真の姿とは

  ※この記事は3分で読み終えられます

霊格・魂レベルとは何か

霊格や魂レベルの意味を簡単にいうと、「霊性の進歩度合い」です。

「進歩」と書きましたが、本来の姿に「還元」と表現した方が、ニュアンスとしては正しいかもしれません。

私たちはみな、高次意識(神)と同じ、純粋な愛のエネルギーです。

それが、さまざな念(欲・憎悪・不安・依存・悲愴など)の影響をうけて、少しずつエネルギーに濁りがあらわれます。

要は、不純物が入ってきたのです。

そこで、不純物を溶かし、本来の状態に戻すため、必要な学びをさまざまなフィールドで経験しています。

宇宙全体のエネルギーを掃除するため、みなで協力して作業を分担している姿をイメージいただくと、わかりやすいかもしれませんね。

このように、すべての存在は、同じ目的のため、今ここに生きています。

つまり 霊格は、目的(ゴール)に対して、それぞれがどの段階にいるかを示した、「現在位置」に過ぎないのです。

霊格を気にする必要がない理由

ところが、霊「格」、魂「レベル」、このような表現を用いるため、霊性が「優劣」の視点でとらえられるようになりました。

高い人=優れた人、低い人=劣った人 という考えを、多くの方に印象づけてしまったのです。

霊性は、転生(生まれ変わり)の回数や、経験の質に応じて磨かれる ため、多くの経験や濃密な経験によって、愛の感度は鋭くなります。

また、この世界で生きるのに必要な引き出しが増えるこため、考え方や行動に「深み」も出てくるでしょう。

これが、一般に言われる、霊格が上がることであり、魂レベルの高い人の特徴のひとつです。

しかし、霊性は格やレベルで量るものではありませんし、急いで霊性を向上させなければと、焦ることでもありません。

心理学には、ある学習に対する準備が整った状態を意味する、「レディネス」という概念があります。

たとえば、幼稚園で学ぶこと、小学校で学ぶこと、中学校で学ぶことは違いますよね。

それは、幼稚園児より小学生が、小学生より中学生が優れているからではなく、単にレディネスに応じたカリキュラムを、提供されているだけのことです。

私たちも同じ。

その時の霊性(経験値)に相応しい学びが与えられ、それを一つずつクリアすれば、自然と次の段階へ移行 していきます。

これが、霊性の向上なのです。

スピリチュアルに生きるとは

霊性を霊格や魂レベルとして捉え、その高低を気にするのは不必要であると説明してきました。

ここからは、「スピリチュアルに生きる姿」についてお伝えします。

キーワードは「愛」

本来、純粋な「愛」のエネルギーだった私たちが、この世界で学ぶことになったのは、愛の対極にあるエネルギーを溶かすことが目的でした。

ところが、「霊性が上がる時の状況」や「魂レベルの高い人の特徴」を知りたがる心の裏にあるのは、劣等感や優越感です。

これらは愛のエネルギーではなく、自分を愛せない「恥」や、他人を見下げたい「慢」のエネルギーで、根底にあるのは、自分は「不完全」という思いです。

これは、愛の対極にあるエネルギーです。

なぜなら、私たちはみな、そのままの姿が「完全」だからです。

誰一人として欠けることなく、すべての存在によって、宇宙は秩序を保っていられます。

究極の「愛」とは、宇宙の秩序によって与えられる一切 です。

それを「そのまま」受け容れることが、愛に生きること。

理屈ではなく、体感として腑に落とせることかもしれません。

そのため、自分の不完全さを補おうとする行為は、無意識に愛とは反対のカルマを重ねていることになります。

真にスピリチュアルに生きる姿とは、現実の中で起こる、さまざまな事象に対して、偏りなく「中庸」な態度で受け止める こと。

中庸とは、プラスもマイナスもない状態であり、そこに至る方法は、「中心思考」です。

愛に還る学びに気づき、自分の中に取り入れていく積み重ねによって、魂は目覚めていきます。

望むと望まないとに関わらず、気づいたときには、霊性が自然に向上しているでしょう。

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