私は、人生で生じた問題の大半を、自力で解決しようとしてきました。

それは、この人なら信頼できると感じられる存在がいなかったこと。

私自身が、「甘え下手」な女性であったことが、大きな理由です。

八方塞がりの絶望的な状況のさなかでさえ、助けを求められる存在は、一人もいませんでした。

ところが、私には、自分が甘え下手であるという認識が、長い間なかったのです。

それどころか、自己解決できる自分を、誇らしく感じていました。

それが、ある出来事をきっかけに、自分が甘えない(他人を頼らない)ことが、周囲にどのような影響を与えているのか、見つめることになりました。

今回は、私が甘え下手になった経緯、甘えない時の心理状態、甘え下手に気づき、変化していく様子をお届けします。

よって、まったくの個人的な話です。

同じような経験をされている方、甘え下手を克服したいと望まれている方に、このような甘え下手もいるという、ささやかな情報になればと思います。

Point

◆ 甘え下手になった経緯

◆ 甘え下手の心理

◆ 甘え下手でも変えられる小さなこと

 ※この記事は3分で読み終えられます

しっかりしていると褒められる

幼い頃、私は、普通の子ども(世間一般にイメージされている子どものすがた)ではありませんでした。

そのため、周囲の大人から好意的に扱われた記憶が、ほとんどありません。

唯一、母だけは可愛がってくれました。

ただし、あることだけは、やたらに褒められたのです。

それは、「しっかりしている」ということ。

気質なのでしょうが、好奇心が人一倍旺盛であり、何でも自分でやりたくなってしまう性分でした。

それが、たまたまスムーズに進んだことで、「大人を頼らなくてもある程度のことは出来る、しっかりした子」というイメージを、周囲に与えてしまったのかもしれません。

大人たちからは、可愛げのない子、変わった子と見られながら、この点だけは過剰に褒められる。

そのため、「しっかりしている=私の価値」という刷り込みが、無意識に出来上がっていったのです。

幼稚園・小学校・中学校へと進む中でも、先生方から真っ先に頂く評価が「しっかりしている」でした。

これも、信念の強化に繋がったと思います。

頼らなかった2つの理由

ここでは、甘え下手の心理として、私が他人を頼らなかった理由を述べます。

それは、この2つでした。

自分の価値を失いたくなかった

私の価値は、しっかりしていることだと考えていましたので、他人に甘えると、価値が揺らいでしまいます。

自分に自信がなかったため、周囲が認めてくれた唯一の存在価値を、頼ることによって失いたくなかった。

弱い部分を見せたくないというより、この表現の方が、頼らなかったときの心理に近いです。

他人に心配をかけたくなかった

甘え下手は、長女気質という表現があるように、甘え下手と「しっかり者」というワードは、関連が深いかもしれません。

私は次女ですが、姉はおっとりとした性格で、身体も弱かったため、逆に、私が姉のような立場でした。

姉のことで、何かと気苦労の多い両親にとり、私がしっかりしていることは、ひとつの「安心材料」になっている。

まるで、親孝行しているかのような感覚を、抱いていた気がします。

また、友人の相談を受けることも多くありました。

自分は「頼られる側」であり、「頼る側」になると、相手の負担を増やしてしまう・・・という思いから、頼れなかったのもあります。

甘え下手に気づいたとき

甘えたいけれど「甘えられなかった」というより、私なりの価値基準にしたがって、納得のうえ「甘えなかった」という方が、正しいかもしれません。

周囲から褒められた嬉しさ、私がしっかりしていることで、大切な人の負担を減らせている誇らしさ。

これらに支えられ、とくに大きな混乱を生じることもなく、成人を過ぎるまで、周囲に甘えず過ごしました。

その中で、「あれ?これは誇らしいとはちょっと違うのかも・・・」と思ったきっかけは、失恋です。

当時、交際していた彼も、私のしっかりしているところが好きだと言ってくれました。

結果、私は、輪をかけてしっかりした女性になっていきます。

けれど、男性は本来、女性を守り幸せにすることに、己の価値を見出す生きもの。

「お前は、俺がいなくても生きていける」

そう言われてフラれました。

傷つき、元気を失った私を見た母は、何かと世話を焼き始めます。

しかも、心なしか嬉しそうに。

「・・・何で?」

ことの理解ができない私に、母はこう言ったのです。

「いつも大丈夫っていうけど、たまにはお母さんのこと頼って欲しいよ」

私は、大きな勘違いをしていたのかもしれない

そのとき、甘えないことで、大切な人たちに、寂しさや不甲斐なさを与えていたと、初めて知りました。

甘えることで与えられるもの

甘えないことで、周囲に与えていた影響に気づきはしました。

だからと言って、長い時間をかけて作られた習慣は、簡単に変えられるものではありません。

わかっていながら、どう甘えていいのかわからない。

甘え過ぎても依存になるし・・・甘える加減に、戸惑いました。

結局、その後も甘え下手のまま、しばらく過ごすことになります。

訪れた転機は、絶望的な状況に陥り、たった一人で臨み、苦しんでいたときに出合った「愛の理論」でした。

この教えによって、愛を受け取ることは、愛を与えることでもあるという、本質的な学びを得たのです。

そこで、まずは「相手の厚意を受け取る」ことを意識しました。

今までは、周囲が「○○しようか」と提案してくれても、「大丈夫」「いいから」と断ってきました。

それを、「ありがとう」「とても助かる」と感謝して、そのまま受け取ることにしたのです。

私が変えたことは、たったそれだけです。

ところが、それを繰り返すうち、弱い自分を見せることは、自分の価値を損なうものではないとわかってきました。

また、大変なときは、大変だと素直に言ってもいいのだと、自然に思えるようになったのです。

最後に・・・

甘え下手の方は、プライドが高い、弱みを見せないと思われがちです。

私は、むしろ周囲に気を遣い、遠慮している方が多いように思います。

気遣いは、とても大切です。

けれども、気遣いと甘え下手は、生まれる根本が違うと思うのです。

気遣いは、思いやりから生まれる行為ですが、甘え下手は、自尊心の低さから生まれる行為。

これは、私自身の経験から、そう感じます。

甘え下手に至るまでには、その方の気質や、生きてこられた背景が関係します。

そのため、甘え下手の心理を、簡単に分類・断定はできません。

甘え下手になった経緯
 ↓
甘えられないときの心理
 ↓
甘え下手を見つめ直したとき
 ↓
私が変えた小さなこと

今回は、この流れでお伝えしてきました。

個人的な話ばかりでしたが、何か参考になれば幸いです。

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