スピリチュアルへの傾倒と現実逃避

かつて、目に見えない世界は「オカルト」と呼ばれ、語れば「宗教的」「怪しい」と捉えられがちでした。

それが、今では「スピリチュアル」という表現で広く浸透し、堂々と語ることのできる時代へと変化しています。

それに伴い、スピリチュアルに過度な関心を向け、現実世界に存在しながら、心が精神世界に奪われている人たちも増えてきました。

そのような姿に対して、「現実逃避である」という声も挙がっていますが、実は、私自身がその経験者です。

そのため、今回は一般論ではなく、あくまでいち個人の経験として、スピリチュアルへの傾倒について述べたいと思います。

Point

◆ スピリチュアルに傾倒したいきさつ

◆ 現実逃避に気づいたとき

◆ スピリチュアルの効果的な生かし方

  ※この記事は3分で読み終えられます

スピリチュアルの芽生え

精神世界を肯定し、自らを魂の存在であるという哲学を「スピリチュアリズム」、その思想を中心に生きている人を「スピリチュアリスト」といいます。

私は、どちらの意味も込めて「スピリチュアル」という表現を使っています。

現在は、スピリチュアル(精神世界)と、リアル(現実世界)とのバランスを意識 していますが、以前は、かなりスピリチュアルに偏った生き方をしていました。

私の中に、スピリチュアリズムの基礎を作ったのは、母です。

信仰心の厚い祖父の影響を受けて育った母は、今もスピリチュアリスト。

「神様はすべてお見通しだから、心にやましいことはしてはいけない」

「人として正しく生きることが大切」

そのように躾けられた結果、物心ついた頃には、スピリチュアルな価値観がすでに定着していました。

スピリチュアルに傾倒した理由

神様の存在を信じてはいたものの、死後の世界が本当にあるとは思いませんでした。

天国も地獄も架空の話。

死んだら、結局「無」になると思いましたので、子どもの頃は、死ぬのがとても怖かったです。

それが、社会人になり一転。

まるで何かに導かれるように、スピリチュアルに関連の深い方々とのご縁が続くのです。

中には、高い霊能力をもつ方もいらっしゃいました。

そこから、本格的に「死後の世界」と「霊的真理」を学ぶことになります。

精神世界の理屈は、現実世界の理屈と必ずしもイコールではなく、現実世界での苦しみが、精神世界では賞賛に値することもある。

現実世界に不条理を抱いていた私は、そのような教えに心酔し、スピリチュアルにどんどん依存していきました。

辛い現実を受け容れ、自分を慰めるのに、スピリチュアルの学びは、十分すぎるほど役に立ったのです。

現実逃避を自覚したとき

スピリチュアルな生き方とは、「霊性向上」を目的にした生き方のこと。

それには、笑顔、感謝、優しさ、思いやり、喜び、愛、慈しみ・・・このような状態で生きることが望ましいと錯覚しがちです。

周囲をみても、同様の方が多かったですし、私自身もそうあらねばと努力していた時がありました。

すると、自分の中にあるネガティブな要素を禁止し、見えなくなるよう無意識に抑圧し始めるのです。

なお、コミュニティ内の結束が過度に強いと、内部での教えを絶対視しやすくなり、依存につながると感じます。

霊的真理によって自立 するはずが、皆と一緒だと安心できる。

本末転倒ですが、実際に私が陥った結果です。

中には、腹立たしい相手に対して「魂レベルの低い人」「可哀そうな人」と、見下す発言をする方もいました。

そのような環境に身を置くうち、次第に現実を自分に都合よく解釈したり、頭にお花を咲かせたまま、描いたユートピアの中で生きたり・・・。

まるで、水面に浮かぶ根無し草のように、心許ない姿になっていったのです。

なぜ、私がそのような自分に気づいたのか。

それは、同じようにスピリチュアルに傾倒している方を見て、そう感じたからです。

スピリチュアルに傾倒することで、現実の課題から逃げている。

それは、他人を通して見た「私自身の姿」だと気づきました。

周りの方々が、実際にそうだったと、決めつけることはできません。

スピリチュアルによって、ご自身の課題としっかり向き合っておられたかもしれませんので。

大切なのは、相手が実際にどうであるかではなく、自分が相手をどう見ているか です。

なぜなら、それは「投影」によって、自分の内面を、外の世界に反映させた結果だから です。

私が本当に望む在り方は、現実から目をそらし、理想郷に生きることではない

そのような、内側からのメッセージだと感じました。

スピリチュアルの生かし方

肉体が存在する、この物質世界を生きる上で、スピリチュアルはどのように生かせるのか。

答えのヒントを与えてくれたのは、アインシュタインによる、この言葉でした。

宗教なき科学は盲信であり、科学なき宗教は盲目である
Science without religion is lame,religion without science is blind.

宗教(スピリチュアル=精神世界)と科学(リアル=現実世界)は、互いが補完し合うものであり、切り離せないもの。

スピリチュアルは、現実を生き抜くためのガイド(知恵)として、現実は、本質に還るために必要な経験を得るフィールド として、双方を生かし合うことが大切だということです。

何のために生きるのか、原点に立ち返るうえで、スピリチュアルは必要です。

同じように、実際に存在している、この現実世界に適応することも必要です。

適応とは、この世界の価値観や常識に従うという意味ではなく、起こる事象をそのまま受け容れること。

つまり、偏りのない「中心」に存在することです。

そのために、私たちは日々課題と向き合い、学び続けるのだと思います。

精神至上主義でもなく、物質至上主義でもない、バランスのとれた姿

これが、スピリチュアルに傾倒した過去をもつ私が、最終的に至った結論でした。

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