愛の理論

という言葉からイメージするのは、親子の「情愛」、それとも男女の「性愛」でしょうか。

愛をテーマにした文学作品や、芸術作品は多いですね。

しかし、愛の定義はさまざまです。

人間に限らず、自分ではない対象に抱く特別な感情。

私たちは、それを「愛」と捉えているかもしれません。

多くは「愛する」「愛される」のように、関係性によって得る「感覚」から、愛を理解しようとします。

けれども、愛は、それだけにとどまらず、「循環する」「育てる」といった面をもつ、非常にダイナミックなエネルギーのようです。

ここで、ひとつ補足します。

「真実の愛とは何か」と「愛とは何か」という問いは、それぞれに意味が異なります。

前者は、自分が信じていた愛が、実は愛ではなかったと感じている状態。

後者は、愛そのものがわからないという状態。

本記事は、「真実の愛とは何か」について書いたものです。

自分なりに、愛の意味を理解していたが、相手との関係がうまくいかなくなり、愛の定義に自信がなくなった。

今は、「真実の愛なんてない」と思っている。

そのような方向けの内容です。

今回は、以下の書籍による愛の理論をベースに、愛の定義を3つの角度からご紹介します。

なぜ自分が信じていた愛に疑念が湧いたのか、そのヒントになればと思います。

うまくいかない人間関係は「愛の偏り」が原因です(矢野惣一著)

Point

◆ 愛の定義について

◆ 愛を循環させる方法

◆ 真実の愛を求める心理

 ※この記事は4分で読み終えられます

3つの愛

私たちは、自分が置かれている状況に応じて愛の定義を変え、どれか一つを強く信じます。

以下は、私の例です。

安全基地を求めていた頃、愛とは、「他者から無条件に愛されること」だと信じていました。

スピリチュアルに傾倒していた頃 、愛とは、「他者を無条件に愛すること」に変化していました。

ところが、愛とは、たった一つの定義に収まるものではありませんでした。

これら3つ、すべて愛の定義なのです。

  • 愛とは、自分を愛することである
  • 愛とは、他者に愛を分け与えることである
  • 愛とは、他者からの愛を受け取ることである

最後、「愛される」ではなく、「愛を受け取る」と表したのには、理由があります。

愛されるという表現は、相手が主体となっており自分は「受け身」です。

しかし、愛を受け取るという表現になると、主体として自らする行為 になります。

つまり、愛の営みはすべて、「能動的」である ということです。

さらに、3つの愛は、その場に留まるものでなく、循環させる(互いにつながり影響し合う)ものなのです。

愛を循環させる

愛を循環させる。

そうは言っても、イメージしにくいかもしれません。

下の図を見ながら、3つの愛をどのように循環させるのか説明しましょう。

私たちには、生まれながらに、「自分を愛する力」が備わっています

未熟な状態で生まれるため、初期は他者(主に養育者)の愛を受け取ります。
(受け取る愛)

その中で、自分はこの世に存在する価値があるという、「自己愛」を育てていきます。
(自分への愛)

また、親からの愛情を受け取ることは、同時に親に幸福感を与えていることにもなります。
(与える愛)

幼少期に、愛の循環がスムーズであることは、その後の生き方や対人関係に大きく影響します。

成長する中、人や社会と関わり、言動をとおして、相手の要求を満たします。
(与える愛)

結果、感謝や報酬を受け取り、社会貢献や自身の存在価値を感じられる喜びを獲得します。
(受け取る愛)

その経験が、自己肯定感・自己効力感を高めます。
(自分への愛)

つまり、愛を与える行為は、他者だけでなく自分も同時に愛すること になるのです。

また、他者の善意に甘えることもあるでしょう。
(受け取る愛)

それは、相手に「貢献の満足」を抱かせることになります。
(与える愛)

同時に、自分も他者から大切に扱われたことに、喜びを感じるのです。
(自分への愛)

以上から、他者の愛を受け取る行為は、他者に愛を与え、自分も愛すること だとわかります。

このように、3つの愛は、一方向に流れるのではなく、互いに作用しあって、自身の内外へと大きく拡がっていく ものです。

真実の愛を探す原因は愛の偏り

この記事を読まれている方は、真実の愛を求めている、あるいは「真実の愛なんてない」と諦めている状態だと思います。

言えることは、愛に「真実」も「虚偽」もありません 

あなたが表現したことは、まぎれもなく「愛」です。

それがうまくいかなかった(と感じている)のは、愛が循環していなかったことが原因 です。

3つの愛は、個人が人生を営むなかで、循環させながら増幅していくものです。

ところが、愛の迷子になる方は、一つに固執している様子がみられます。

多くは、「受け取る愛」への偏り

愛されたいという欲求が強いのです。

人間関係で悩むことは、誰しも起こり得ますが、そこに「愛」が絡むと言えば「親子」「夫婦」「恋人」あたりでしょう。

この場合、相手から受け取る愛が、自分の求めるそれと違うと、相手の愛を疑ったり、代理の存在を他に求めたりしがちです。

けれども、あなたの愛が循環していない状態で、相手や環境をどれだけ変えても、永遠にあなたが望むような「真実の愛」に出合うことはありません。

それどころか、「愛なんて幻想」という、投げやりな結論に至ってしまうかもしれません。

受け取る愛に偏っている方は、心の欠乏を他人に満たしてもらいたいとう欲求に動かされています。

バランスをとるためには、まず自分自身を愛し、満たすことから取り組んでみて下さい。

最後に・・・

宇宙には「循環の法則」が働いています。

これは、仏教でいう「諸行無常」であり、万物はすべて流転し、変化しないものはないという意味です。

つまり、愛の偏りは「流れを止める」行為と同じであり、宇宙のリズム、ひいては自身のリズムを崩すことになる のです。

この著書を読んだとき、私は強い衝撃を受けました。

なぜなら、愛の理論が、自分の状況とあまりにも酷似していたからです。

私の身に降りかかっていた、あらゆる問題の根源は、私自身の愛の偏りであったと気づきました。

私も、愛を受け取ることに大きく偏っていたひとりです。

大切な人の一番になって、愛を得ようと躍起になり、それがうまくいかないと、次は「尽くす」という「与える愛」に偏りました。

本来、与える愛とは、自己の中で育まれた愛を、他の存在に「分け与える」もの です。

ところが、私の愛は、見返りとして愛されることを期待した、「取り引き」の要素を含んでいました。

さらに自分を愛することを疎かにしていたため、自己愛の度合もかなり低かったと言えます。

そのような状態で、与える行為をし続けるのは、「自己犠牲」と同じこと。

実際、私は、ますます愛の欠乏に陥りました。

他者から愛を得ようとすればするほど、依存的になり自分らしさから遠ざかっていきます。

真実の愛は、すでにあなたが実践されている愛です。

必要なのは、3つの愛をバランスよく循環させることだけです。

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