親を選んで生まれてくる

スピリチュアルでは、「子供は両親を選んで生まれてくる」と言われています。

産婦人科医が書いた、同名の本もありますね。

子どもは親を選んで生まれてくる(池川明著)

この説が真実かどうか、科学的に検証することはできません。

多くは、霊的真理に沿っていたり、「空からお父さんとお母さんが見えて、この人たちの子供になりたいと思ったの」といった、幼少期の子どもの証言に依っているところがあります。

ですから、「子供が親を選んで生まれてくるなんて嘘では?」という声が出るのでしょうね。

スピリチュアルでは、親だけでなく、時代や国・地域・家族構成・家庭の経済状況に至るまで、綿密に計画 してくるとされています。

つまり、この世界で生きるバックグラウンドは、すべて「自分が選んだ」という考えです。

それは、自身やそれらの要素に含まれる「カルマ」を引き受けるとともに、今世で取り組む課題を提供してくれる背景として、自ら決めた結果でもあるわけなのですね。

「たまたま」は何一つなく、すべてが必然だということです。

しかし、親子関係において辛い経験をされた方にとっては、自分が望んで生まれたとは信じたくないかもしれません。

大人になった今でも、「親が嫌い」、「親を許せない」という心理に、どうしたらいいかわからない状態の方もいるでしょう。

今回は、そのような方々に向け、子供が親を選んで生まれることが嘘か誠かではなく、新たな「視点」をお届けできればと思います。

Point

◆ 親を選んで生まれてくるとは

◆ 親に対する憎悪の裏にある本心

 ※この記事は3分で読み終えられます

親を選んだのは「合理的選択」

先に紹介した著書の内容もそうですが、子供が親を選んで生まれてくるという言葉は、深い愛をイメージさせ、そこには温かく幸せな関係が存在するものとして捉えられがちです。

そのため、親が嫌い、親を許せないという方には、「おかしい!」となるのかもしれません。

そうですよね。

自分を苦しめた憎い相手との間には、幸せにはほど遠い、寒々とした関係が存在しているのですから。

血のつながりには、どこか特別なものを感じやすいのかもしれません。

けれども、魂の観点で言えば、血縁者はすべて「他人」です。

私たちにとって、真の家族は「類魂(グループソウル)」であり、人間の家族ではありません。

家族全員が、別々のグループに属している魂であり、あちらの世界では「よそ様」なのです。

今世において、お互いが自らの霊的成長を目的に、「もっとも合理的に学べる条件を満たした相手」として選んでいるに過ぎません。

ならば、なぜ、わざわざ「親子」という関係にしたのでしょうか。

それは、「愛」を強く求め、与え合える関係になれるからです。

未熟な状態で生まれる人間の赤ちゃんは、親の愛と庇護がなければ生きられません。

そのため、人間には親へ無償の愛を求めるように、プログラミングされています。

また、親にとっても、出産は自身の心理的変化をもたらす、大きなきっかけになります。

しかし、親も人の子

同じように、自分の親(あなたから見た祖父母)へ、無償の愛を求めています。

その欲求を抱えたまま、今度は自分の子供に無償の愛を提供する。

非常に難易度の高い課題を背負うことになります。

この苦しみの中で、自身の闇と向き合い、愛を知り愛を与えるという、深く、尊い学びを経験できるのですね。

親が嫌いという心理の裏にあるもの

「親は子供を愛するもの」という、固定した期待。

「愛して欲しかったのに愛されなかった」という、未完了の思い。

親が嫌い、親を許せないという人ほど、深層では親の愛を強く求めて います。

「愛憎」という言葉があるように、愛することと憎むことは表裏一体です。

愛が強いほど、それが叶わなかったときの憎しみが増すのです。

親を憎むのは、親不孝ではないか

親を許せない、そんな自分も嫌い

中には、自らを責めてしまう方もいるかもしれませんね。

親子を題材にした作品には、海のように深い愛と、大地のように広い心で親が子供を慈しむ姿が描かれています。

これは、私たちの普遍的な願望なのでしょう。

このような作品を見ると嫌な気持ちになるのは、そこに当てはまらない自分が、とても不幸に感じるからなのかもしれません。

私自身も、父に対する嫌悪、母に対する失望など、親に対してさまざまな感情を抱いていました。

サザエさんを見るたび、なぜ私はこんな関係が築けないのかと、自分が嫌いになったものです。

特に、母に対しては愛情が強い分、それに応えてくれないことにイライラし、会うたびに大ゲンカでした。

ストレスに耐えられず、しばらく母から離れたいと、一切の連絡を絶った時期もあります。

そこから、現在の穏やかな関係へと変わったのは、親子という関係に特別なものを求めなくなったからです。

それによって、情の関係から、互いに学び合う「同志」の関係へとシフト できました。

つまり、この世界でともに学び合う「魂」として、親を見られるようになったのです。

望む愛を提供してくれない親のもとに生まれた私は、ここから何を学べばいいのだろう・・・と考えるようになりました。

その経緯について詳しく書いた記事はこちらです。

最後に・・・

スピリチュアルにおいて、私は「子供は親を選んで生まれてくる」という説は、真実であると考える立場です。

それは、キラキラとした光に包まれた愛を味わう目的ではなく、ドロドロとした闇を抱えたもの同士が愛に気づき、成長するという「霊性向上」を目的としたものです。

親子は、それをもっとも合理的な形で学べる関係なのでしょう。

また、親の方が子供より魂の成長が進んでいるとは言えません。

むしろ、子供の魂の方が進んでいるケースが多いようです。

子供には、未熟な親を「包む」役割 も与えられているように感じます。

そして、子供もまた、自分の未熟さを、自身の子供から教えられるのかもしれませんね。

魂の学びは、このように連鎖していくものだと思います。

親が嫌い、親が許せないという心理の裏にある、親に対する深い愛情。

そこに気づくだけでも、ご自身の学びに役立つ何かが見えてくるかもしれません。

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