大切な人の一番でありたい

誰かの一番になりたい。

あなたは、友達や恋人にとって、自分が一番大切な存在になりたいと思ったことはありませんか?

誰かの一番になりたいと強く願った過去が、私にはあります。

そのような心理は、どこから生まれるのでしょう。

以前、こちらで愛着障害にふれました。

愛着障害と、誰かの一番になりたいという心理には、はたして関係があるのでしょうか。

私の経験を交えながら、お伝えしたいと思います。

Point

◆ 愛着と安全基地の関係

◆ 誰かの一番になりたい心理

◆ 真の安らぎとは

 ※この記事は3分で読み終えられます

愛着と安全基地

誰かの一番になりたいという心理を分析すると、見えてくるのが「安全基地」という概念です。

安全基地は、愛着と深く関係しています。

意味を簡単に説明すると、不安になったときに心のエネルギーを補充できる場所 のこと。

弱くなった自分を温かく迎え入れてくれる、「心のふるさと」と言えるでしょうか。

多くは、母親にその役割を期待します。

幼い子どもにとって、この世界は見るものすべてが新鮮。

持って生まれた好奇心を刺激され、未知の世界へと探索に出かけたくなります。

ところが、母親のそばを離れていざ進んでみると、次第に不安が増してくるもの。

そのとき、何のためらいもなく安心して戻っていける場所。

それが、安全基地です。

愛着障害と安全基地

愛着障害によって安全基地を得られなかった場合、大人になってからどうなるのでしょうか。

すべてそうだとは言えませんが、苦悩や困難に遭遇したときに乗りこえる力の強弱や、対人関係に影響がでるようです。

私のケースは少し特殊で、子ども時代に安全基地は得ていました。

ところが、成長するなかで安全基地の対象であった母に失望し、心に存在していた安全基地を失ったのです。

そして、その頃から、誰かの一番になりたいという思いが生まれるようになりました。

安全基地が揺らいだとき

幼い私にとって、母の存在は、絶対的な安心と安らぎをもたらしてくれる安全基地でした。

厳しい父に叱られるたび、母は優しく包んでくれました。

個性の強い子どもだった私は、周囲の大人たちから「変わった子」と見られることが、たびたびありました。

その時も、母だけは私の良さを認め、褒めてくれたのです。

当時の私には、「何があっても、母だけは私の味方でいてくれる」という、絶対的な信頼と安心がありました。

だから、そのような環境で育ちながらも、好奇心の赴くまま、自由にのびのび生きられたのだと思います。

ところが、その安らぎは、中学に入った頃から少しずつ変化していきました。

母の苦悩

10歳で祖母と死別した母は、不安定な愛着スタイルの持ち主でした。

翌年、祖父の再婚によって新しい母親ができるものの、全くといっていいほどなじめなかったようです。

「新しく生まれた妹と、差別されたことが辛かった」

そう、幾度となく話していました。

だからでしょうか。

母は、姉と私に対して分け隔てなく、目いっぱいの愛情を注いでくれました。

また、 自分が母親として子どもに愛を与えることで、死別によって強制的に奪われた、母親(祖母)からの愛情を取り戻していた と思います。

母にとっての子どもとは、母のことが大好きで、母の言うことを素直にきき、母がいなければ生きていけない、そんな弱く愛らしい存在でした。

ところが、思春期に入ると、私たち姉妹は少しずつ反抗的になっていきます。

「昔は、あんなに可愛かったのに・・・」

自分の手を離れ、大人になりつつある子どもの成長は、母にとって喜びよりも、寂しさや空しさを抱かせるものだったようです。

私たちへの態度が変わっていったのは、その頃からでした。

新たな安全基地を求めて

「無条件」に存在していると信じた安全基地が、実は「条件つき」だった

そこから、対人関係に歪みが出はじめたのです。

小学校までは、人間関係で悩んだことは一度もありませんでした。

ところが、中学に入ってからは、なぜか 大切な人との関係でつまづいて ばかり。

それは、相手の心を独り占めするため、コントロールしようとしたことが原因でした。

私は、誰かの一番になりたいといつも思っていたのです。

友達にとっても、恋人にとっても。

他の人と同じではなく、私が一番でなければ嫌でした。

それは、母という安全基地を失った時に味わった「孤独」を癒したかった からだと思います。

ぽっかり空いた心の穴を、友達や恋人に埋めてもらいたいと考えたのです。

安らぎはここにある

自分の中に欠けていると感じているものを、他人満たしてもらおうと期待する。

この時点で、相手と自分は対等関係ではなくなります。

また、強い期待の先に待っているのは「失望」。

結果として、友達も恋人も、私から去っていきました。

  • 自分はエネルギーの存在であり、宇宙とつながっている
  • 繋ぎとめようとすると、相手が離れていくのはこの世の摂理

その後、これらを理解できたことにより、誰かの一番になりたいという思いがようやく鎮まっていきました。

また、安全基地を外に求めるのも止めました。

永遠の安全基地は外側にではなく内側にある

起こる出来事すべてが、完璧な宇宙の秩序によりもたらされた愛です。

それを理解できたとき、真の安らぎが自分の中にあることに気づくと思います。

私は、この事実を腑に落とせたことで、誰かの一番になりたいという囚われから、ようやく開放されました。

また、安全基地として機能できなくなった母の苦しみ・悲しみも、すべて受け容れることができました。

最後に・・・

誰かの一番になりたい。

その思いは、安らぎを求める心理かもしれませんし、一番になることで自分の価値を確かめたい心理かもしれません。

人は生まれながらに、肌のぬくもりを求めます。

それは、人と関わることで安らぎを得られるよう、本能にプログラムされているためでしょう。

安全基地を外側に求めるのは、自然なことです。

けれど、誰かの一番になれば、必ず安らげるという保証は、残念ながらありません。

幼少期の親子関係によって形成される愛着は、その後の人生に影響を与え続けます。

もし、いま現在、親へ複雑な思いを抱き、苦しんでおられる方は、以下の記事が僅かながらお役に立てるかもしれません。

よろしければご参考下さい。

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